わが街千葉ニューのミニ歴史
ダックス飼主の棲む千葉ニュータウン情報のご紹介です。
印西の歴史
- 昭和29年(1954年)印西町誕生
- 昭和29年12月1日、前年に施行された町村合併促進法により、木下町、大森町、船穂村、永治村の一部が合併し、人口約18,000人、面積53.51kuの印旛郡印西町が誕生した。
- 平成8年(1996年)印西市誕生
- 4月1日に市制施行、県内で31番目、全国で666番目の市になった。
- 平成21年(2009年)1月9日印西市・印旛村・本埜村合併協議会を設置
- 平成22年(2010年)3月23日新印西市誕生
- 地方自治法第7条第1項の規定により、兵背22年3月23日から印旛郡印旛村及び同郡本埜村を廃し、その区域を印西市に編入する
昭和29年の昭和合併促進法に沿い、当時の木下(きおろし)町・大森町・永治(えいじ)村・船穂(ふなお)村の2町2村が合併し印西町が誕生した。
産業は農業が主体であったので、農家は活気があった。また、市街地の商業街もJR木下駅北口商店街より大森・六軒地区へ商店が並び近隣町村より多くの人々が買い物に来てたいへん賑わっていた。
昭和39年の東京オリンピック開催の頃、小林地区の山林を切り拓いて東京都競馬小林牧場、昭和40年には総武カントリークラブ、昭和41年には習志野カントリークラブ、同年に木下地区に日本デキシー紙コップ工場を誘致。次第に町の中心はJR木下駅の南側に移行していった。中央地区・草深(そうふけ)地区にあった印旛飛行場も解体され、入植者を入れて開墾されていった。汗と涙の結晶で立派な畑に蘇り、なかでも草深スイカと落花生は味が良く名産となった。森には印西の黒松と謂われるいろと粘りのある黒松杉が切り出された。
昭和42年印西町議会の承認を得て、昭和45年新住宅市街地開発法の適用を受け事業認可となった千葉ニュータウン構想(船橋市の一部、白井町、印西町、印旛村、本埜村にまたがる計画面積2900ha人口34万人のニュータウンを造る)がスタートした。
以来40年、いろいろな悪要因が重なり千葉ニュータウン構想は頓挫し、平成25年に終息を迎える。
(利根新報平成22年8月5日発行記事より抜粋)
牧の原駅圏の商業地化
印西市など三市二村にまたがる千葉ニュータウン(NT)が商業地として急速に台頭してきた。抜群の集客力をみせる巨大なホームセンターが呼び水となり、郊外型店舗の進出が相次いでいるからだ。千葉市などの県内四大商圏のどこからでも車で行ける「へそ」に位置するとして、2004年暮に柏市の企業が日本最大規模の家具のアウトレット店を進出させる。
数年前まで千葉NTの主な商業施設と言えば、北総鉄道の千葉NT中央駅圏内にある大手スーパーイオンの「ジャスコ」とダイエー(〇二年に撤退)だけだった。
風向きが変わったのは2002年12月。隣駅の印西牧の原駅圏内で千葉NTを貫く国道464号沿いに、いち早くホームセンターのジョイフル本田が「千葉NT店」をオープン。売り場面積約四万千平方メートル、駐車場五千台分で、平日でも広い店内がにぎわう業界最大規模の店舗だ。
初年度は七百五十万人が訪れたとみられ、同社は「(お客は)まだ増えている状況。東京や神奈川からも来ている」と好調ぶりを示す。早くも千葉NT店への追加投資を検討する。
国道を挟んだ向かい側では2004年四月以降、ドラッグストア「カワチ」、衣料品「サンキ」、総合スポーツ用品「スポーツデポ・ゴルフ5」が続々開店。さらに周辺では2004年12月25日に家具のアウトレット「メガマックス」、2005年3月に家電量販店「ヤマダ電機」が開店する。
メガマックスは延べ床面積約一万平方メートル。ワンフロアに約八万点の家具やインテリア用品をそろえ、季節外れのものは最大八割引の低価格販売を行う。出店するインテリア計画(柏市)は、東葛地域などで家具店を六店展開する会社で、在庫処分専門の家具店は今回が初めて。同社は、千葉NTについて「足元は中小商圏だが、千葉、船橋、柏、成田の県内四大商圏のいずれからもアプローチできる。さらにジョイフル本田のおかげで県外からも来てくれる。目的を持って来店する消費者向けには絶好の立地」と話す。商業地として県内全体の「へそになれる」と期待する。
2000/06/01 中央駅北口広場が完成
駅前北口に木刈環状バスや成田空港発着バス停を中心のロータリー完成。木刈線環状線新設により自宅までの運賃が200円から160円に低額変更。30m大歩道や55m幅員の幹線道路も併せて完成。成田空港行きバスは3時間に1本程度だが1300円払うと約1時間30分で着く。
2000/07/22 印旛日本医大駅が開業
印西牧の原(1995/04開業)の東3.8kmに印旛日本医大駅がオープン。駅から牧の原300円、中央駅まで440円とあいも変わらず高値安定。また、同日南口に商業施設7店舗が「VARIO」と命名され開店。
印西市 ますます高齢化
今後の人口予測が2007/6議会で発表された。
年 人口 65歳以上 高齢化率
2007 61、000 8,000 13%
2010 67,000 9,700 14%
2020 70,000 17,000 24%
2030 71,000 21,000 30%
2010/03/23 本埜村と印旛村と合併し新印西市が誕生
1市2村の合併協議は2009/01に法定協議会を設置後、10回にわたる協議を重ね、2010/01/08に各市村の合意がなされた。
合併後の面積は123.8Ku(2.3倍)、人口は87千人(1.3倍)となる。(2009年度12月データより)
同合併により、2010年10月末現在で人口9万人を超えた
2010/07/17 成田新高速鉄道が開業
東京都心と成田空港を最短36分で結ぶ京成電鉄の成田新高速鉄道(成田スカイアクセス)が平成22年7月17日、開業した。成田スカイアクセスは北総鉄道など既存路線を活用した新ルートで、日暮里−空港第2ビル間を36分で結ぶ。
成田新高速鉄道の開業に合わせて、北総鉄道は17日から、運賃を平均4・6%値下げする。値下げは79年の開業以来初めて。印旛日本医大駅(印西市)−京成高砂駅(東京都葛飾区)間の片道運賃は820円から40円引き下げられ780円となる。計画では値下げの原資は県や沿線6市、北総鉄道などが負担する予定。
アクセス特急が停車する印旛日本医大(印西市)と千葉ニュータウン中央(同)は逆に都心への所要時間が最大18分短縮され、利便性が高まる。一方白井と西白井(白井市)・小室(船橋市)・印西牧の原(印西市)の計4駅では、これまで平日164本の電車がすべて停車していた。17日からはスカイライナーとアクセス特急計105本が通過することになり、時間帯によっては都心への所要時間は最大9分増える。スカイアクセスにより北総線沿線で明暗が分かれる。
2012/春 Route464が便利に

2008年より進めていた国道464号の渋滞緩和に向け、千葉ニュータウン中央〜印旛日医大の側道内側部分に道路を建設していたが2012年5月25日、一部が完成した。 千葉ニュータウン中央駅から、印西牧の原駅、印旛日医大の国道464号線沿いには多くの商業施設が急増している。2002年ジョイフル本田進出以降、大小ショッピングモール、家電量販、大手家具、その他が急増し、来年にはカインズホーム、コストコまで開店の予定。これら理由で、国道の渋滞が激しくなったので、北総鉄道の線路脇に上下各2車線を拡幅して、通過車両と来街・地元車両を分けることで渋滞緩和に供する、とのこと。
2018/夏 人口が10万人を突破
千葉県印西市は5月29日、人口が10万人を突破したと発表。千葉ニュータウンを中心に若い家族層が移り住み、四半世紀で人口が2倍に増えた。1996年4月に旧印西町が市制に移行し、印西市が発足。10年には隣接する印旛村や本埜村と合併し、現在の市域に広がった。市内の中心駅である北総鉄道・千葉ニュータウン中央駅からJR東京駅まで最短で1時間弱とアクセスも比較的良く、都内への通勤・通学者も多い。