dachs飼主の裏磐梯二日目
2019年9月20日(金曜日)、。
ツアー記録
2日目概略
到着(出発)時刻と距離を示す
10:00 出発(300Km)
11:00 道の駅ばんだい「徳一の里きらり」(317Km)
11:30 長明寺(330Km)〜七日町通り
12:30 昼食季味
14:00 会津若松駅(332Km)
15:00 道の駅猪苗代(356Km)
16:00 裏磐梯レイクリゾート(375Km)
本日行程75Km

会津若松周辺
朝起きて窓を開けたら寒い。ここ裏磐梯(北塩原村)の標高は800米、ホテルを出発したのが10時前だが摂氏11℃の肌寒さ。
6時に露天風呂のドアーを開けたら冷気が肌を刺した。よその朝の露天風呂は大抵身体を温められないヌルサだが、ここのは4箇所ばかり高温の源泉が適量流れており、その辺りに陣取るととても体がホクホクとしてくる。
10時に出発し、ゴールドラインを経由して会津若松市に向かう。ゴールドラインは以前有料道路であったが今はフリーな一般道扱い。ここから、磐梯山も猪苗代湖も綺麗に見えた。11時に平地まで降りて、磐梯町で道の駅磐梯キラリの里に到着。令和元年なので、マンホールやご朱印のほかに道の駅スタンプも良く寄るのでと、スタンプ帳は無かったが、白紙に同駅のスタンプを押してみた。
程なく会津若松市に入り、まず初めに長命寺を参詣。ここには戊辰の役で戦死された東軍145名の会津藩士の墓があった。おまいりしていると住職から声をかけられ、玄関から本堂に入れてもらい、御本尊にお線香をあげさせてもらえた。ご朱印は無かったが、参詣記念はお賽銭替わりに、いただけた。
参拝後、お寺に車を置かせてもらい、七日町通りをぶらり散策。明治大正昭和を思わせる蔵の街、旧家、商店の町並みは懐かしく感じた。昔懐かしい「〇〇アパート」という存在を発見し懐かしく思った。「先ずは「季味」で昼食。会津料理は馬刺し、山椒入り鰊煮付け、こづゆのセット。質も量も良くて満足できた。
七日町駅は無人駅だが、有人の駅カフェや土産物屋が駅の中で営業していた。切符の販売はスイカやパスモは使用できず、乗車証明証の発行のみ。会津若松駅にも行ってみた。漢数字の時計や「あいづっこ宣言」白虎隊銅像もあった。
猪苗代湖の近くにある「道の駅いなわしろ」でも白紙にスタンプを押してきた。メインシンボルはやはり「野口英世翁」であった。
帰途は昨日のリオンドールの隣りにあるヨークベニマルで夜朝メシと飲料を仕入れ、午後4時には宿に戻ってきた。

旅情報ミニ
道の駅磐梯キラリの里
道の駅ばんだい(みちのえきばんだい)は、福島県耶麻郡磐梯町にある福島県道7号猪苗代塩川線の道の駅である。愛称は徳一の里 きらり。
長命寺
京都本願寺の直轄寺院である、この長命寺には、五本の白線が入った、有名な土塀がある。また、戊辰の役における会津若松の市街戦で最も激しい戦闘が繰り広げられたことでも有名。戦闘後、会津藩の戦死者は賊軍のものであるとして埋葬はおろか、手を触れることさえ許されなかった。明治になってからようやく埋葬許可が下りたが、しかし戦死者の名前を刻むことは許されず、石碑には「戦死墓」と記されるのみ。この一つの墓の墓の下に145人が眠っている。これらのことから会津藩士たちの無念、屈辱が伺える。
七日町通り
大正浪漫の雰囲気のただよう七日町通りは、藩政時代には、会津五街道のうち日光、越後、米沢街道の主要道路が通り、城下の西の玄関口として問屋や旅籠、料理屋が軒を連ねていました。明治時代以降も重要な通りとして繁栄を極め、昭和30年代頃までは、会津一の繁華街としてにぎわっていました。その後、一度衰退したこの通りは現在大正浪漫を感じられる通りとして甦り、観光客に人気の通りとなっています。
道の駅いなわしろ
道の駅猪苗代(みちのえきいなわしろ)は、福島県耶麻郡猪苗代町にある国道115号の道の駅である。北には磐梯山、南には猪苗代湖を望める抜群のロケーション。
裏磐梯二日目のアルバム39枚
下の拡大写真やスライドショーが楽しめる裏磐秋二日目アルバムに入っています。
下の写真はクリックすれば拡大できます。
ゴールドラインから展望 |
猪苗代湖 |
磐梯山 |
道の駅ばんだい |
まずは長命寺 |
|
本堂にお詣り |
戊辰の役で戦死 |
|
戦死墓としか刻まれない |
||
七日町通りを散策 |
七日町駅 |
|
無人駅ですが |
乗車証明書発行機 |
駅にはバスが |
会津御膳は鯨、鰊と こづゆ |
松花堂御膳も美味 |
|
アパートの文字が 懐かしい |
||
会津若松駅の時計 |
||
ならぬものは ならぬものです |
白虎隊 |
道の駅いなわしろ |
五色の森の廊下 |
窓からは桧原湖 |
